Twitterとかで散々書いたので、当記事を読んでいる方は知っている内容かもしれないが、10年ぐらい参加していたFunny Funk Fishというバンドが活動休止することになり、それに伴ってバンドを脱退した。
「メンバーで大喧嘩したことにしようや!」とツジは最初冗談で言っていたが、割と本気で受け取られかねないと思ったので、発表時は「メンバーの生活環境の変化」という理由を書いた。主に、ツジの環境が色々変わるのでそれに伴ってバンドを続けるのが難しい、というのが大きな理由である。活動休止としているが、再開するかは彼次第、と言っていいし、もし再開するとなっても脱退したので、俺はメンバーではないかもしれない。そもそも、再開する時はバンドではなくて漫才コンビとかになっているかもしれない。
ツジ以外脱退(ようほうはサポート解消)という形になったのは、俺が言い出したからである。俺を含め、他のメンバーは、形態や頻度は分からないけれども、バンドや音楽活動を続ける意思があった。特に、俺はこのバンドが止まってしまうなら、切り替えて新しいバンドを積極的にやりたい、と思ったからである。おそらく、俺はバンドでの活動がすぐできようができまいが、今までのようにライブハウスにもよく顔を出すだろうし、そのうちバンドも始めるだろう。その時に、このバンドに籍を残していて「Funny Funk Fishやらないんですか?」と聞かれ続けるのがしんどいだろうなと思ったし、新しいバンドで活動している時に「Funny Funk Fish」に色々な面で引っ張られたりしたくないな、と思ったからである。ツジも「君はバンドをやり続けるだろうし、次やりやすい形にしよう。」と言ってくれたのでこういう「ツジ以外脱退」にしてもらった。つまり「それぞれのメンバーの未来にご期待ください」という意味を込めたかったのだ。
ツジは13年近くこのバンドをやっていると言っていたが、自分もおそらく2009年末ぐらいからこのバンドをやっていたと思う。当時、ツジが別でやっているバンドのサポートをしていたが、そのバンドが止まるという時に彼が「ちょっと2人でスタジオ入ろうや」と言ってきた。2人で何するんだろうと思いながらスタジオに行くと、彼がMTR(あらかじめ録音した音を出す機械)とかをセッティングしていて「じゃあ俺が1人でやってる方の曲今から演るから、合わせてギター弾いて。」と言われた(事前に曲をもらったりもしていないし、曲の構成とか、コードとかも教えてもらってない)。これが、俺のFunny Funk Fish最初のスタジオ練習であった。
そこから、翌年最初のドラムニシオくんが入ったり、半年後ぐらいにベースのさらちゃんが入ったりした。最初の方は、ツジのぶっ飛んだ行動についていけず「もうこのバンドやめようかな…。」と思うことが2週間に1回ぐらいはあったが、そういう時に限って運良く(もしくは運悪く、なのかもしれない)たまたまライブで褒められる等のイベントが起こり「まあもうちょっとやってみるか…。」と思いとどまってしまっていた。その結果、俺が彼の行動にも慣れてきたり、彼自身もある程度空気を読めるようになり、徐々に絶妙なバランスになってしまい、今に至る。
そう思い返すと、活動休止するのがちょっと惜しいかもな、と思えるバンドになるとは、始めた頃は全く想像できなかった。「色んなバンドとまた対バンしたかった」「世界のザキとツーマンしたかった」「正式に録音してない曲まあまあ残ってる」「TaiwanのMVを台湾ロケしたかった」「東京で1度はライブしておきたかった」等、色々考えると色々悔いが残る要素はあるといえばある。ただし、そういった音楽に関するモチベーションは次の音楽活動に費やそうと思う。なんだかんだで、このバンドを通じて、素晴らしいバンドや人と知り合いになることができたし、新たな良い音楽をたくさん知ることができた。これは人生で凄い良い経験を得ることができた。感謝である。
前編はここまで。後編に続く。後編はラストライブと、WriterのMV、後は今後について書く予定です。
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